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CURRENT SITUATION AND CHALLENGES OF MAINTENANCE ACTIVITIES OF URBAN EXPRESSWAY
阪神高速道路は,環状線の一部を構成する土佐堀~ 湊町間 2.3 kmの供用を昭和 39年に開始した.それ以 来,図–1に示すように,大阪・神戸両都心部を中心に 整備が進められてきた.その間,関西都市圏の慢性的 な渋滞解消と都市活動や市民生活を支える基幹道路と しての重責を果たしてきた. 昭和 39年から昭和 45年に至る期間では,昭和 45年 の大阪万国博覧会の開催を目標として,主として大阪 環状線の整備を中心として道路整備が進められた.そ の後,昭和 60年に至るまでの期間では,放射路線の整 備,大阪-神戸との連絡道などが整備され,この時期に 阪神高速道路の骨格が形成されたと考えてよい.さら に,平成期に入ると,湾岸線や北神戸線などが整備され るなど,高速道路網としての充実が図られた.その結 果,現在,阪神高速道路の供用延長は 233.8 km,1日平 均の利用台数は約 90万台となっている.また,図–2に 示すように,道路延長は阪神都市圏の中で 5.7%である のに対し,交通量では 15.4%,貨物輸送量では 47.3%を 占めており,自動車専用道路として重要な役割を演じ ている. このように,阪神都市圏の道路網において中核的な 役割を演じている阪神高速道路であるが,昭和 39年の 39 40