{"title":"梦想与挑战,迈向激光医疗的未来","authors":"T. Sugai","doi":"10.2530/JSLSM.JSLSM-41_0032","DOIUrl":null,"url":null,"abstract":"歴史を振り返ってみれば,日本で初めてレーザ手術装 置(文末注記参照)が医療機器として厚生省(現厚生労 働省)の認可を得て製造・販売が開始されたのは昭和 55 年(1980年)であった.当時はレーザ機器の医療への応 用は一部に限られており,一般にはあまり詳知されてい ない状況が暫く続いたため,これを打破すべく日本レー ザー医学会(以下「当学会」と略す)のもとに医用レー ザ機器の開発,製造,販売に携わる企業が会同し,当学 会分科会の中で製造業者組織化の設立準備が検討されな がら,問題点の解決や普及のための議論が重ねられたこ とがきっかけとなり,昭和 61年(1986年)9月に三十数 社の企業が参画して,日本医用レーザ協会(以下「当協 会」と略す)の前身である『日本医用レーザー機器委員 会』が設立されている. その頃に演者はまだこの分野に深くは関わっておらず, 当時の実相を知らぬままに語ることになるが,レーザ医 療と医用レーザ機器とが共にその後に大きな発展を遂げ た一因は,臨床家による新たな医療技術(夢:ニーズ) へのチャレンジと,学術者によるエビデンス(夢の現実 化)の集積と,それらの要望を受けて各企業が技術挑戦 (課題)に立ち向かい,加えて三者が協働してレーザ医療 という新たな医療確立を目指して行政に働きかけ(課題 の現実化)を行ってきた,その歴史そのものの歩みであっ たと伺える.先例も実績も何も無い処から,工夫と改善 を凝らし,互いに刺激をしながら,レーザ医療は positive に歴史を刻んできたものと思う.この時点での大きなポ イントとして理解しておくべきは,医用レーザ機器は「医 療のニーズ(夢)から生み出されてきた医療機器(課題 現実化の産物)」としての歴史を刻んできていた,という 点であろう(Fig.1参照). その後の経緯として,上述の『日本医用レーザー機器 委員会』は 5年間会合が継続されてきたが,レーザ医療 の継続的な発展の過程を踏まえて,医用レーザ機器自体 の健全な開発,製造,輸入,販売が期待され,また拡販 により普及を図ることが求められた処から,会員企業相 互が研鑽に努めることを設立目的として,平成 3年(1991","PeriodicalId":19350,"journal":{"name":"Nippon Laser Igakkaishi","volume":"60 1","pages":"289-292"},"PeriodicalIF":0.0000,"publicationDate":"2020-09-30","publicationTypes":"Journal Article","fieldsOfStudy":null,"isOpenAccess":false,"openAccessPdf":"","citationCount":"0","resultStr":"{\"title\":\"Dreams and Challenges, toward the Future of Laser Medical Care\",\"authors\":\"T. Sugai\",\"doi\":\"10.2530/JSLSM.JSLSM-41_0032\",\"DOIUrl\":null,\"url\":null,\"abstract\":\"歴史を振り返ってみれば,日本で初めてレーザ手術装 置(文末注記参照)が医療機器として厚生省(現厚生労 働省)の認可を得て製造・販売が開始されたのは昭和 55 年(1980年)であった.当時はレーザ機器の医療への応 用は一部に限られており,一般にはあまり詳知されてい ない状況が暫く続いたため,これを打破すべく日本レー ザー医学会(以下「当学会」と略す)のもとに医用レー ザ機器の開発,製造,販売に携わる企業が会同し,当学 会分科会の中で製造業者組織化の設立準備が検討されな がら,問題点の解決や普及のための議論が重ねられたこ とがきっかけとなり,昭和 61年(1986年)9月に三十数 社の企業が参画して,日本医用レーザ協会(以下「当協 会」と略す)の前身である『日本医用レーザー機器委員 会』が設立されている. その頃に演者はまだこの分野に深くは関わっておらず, 当時の実相を知らぬままに語ることになるが,レーザ医 療と医用レーザ機器とが共にその後に大きな発展を遂げ た一因は,臨床家による新たな医療技術(夢:ニーズ) へのチャレンジと,学術者によるエビデンス(夢の現実 化)の集積と,それらの要望を受けて各企業が技術挑戦 (課題)に立ち向かい,加えて三者が協働してレーザ医療 という新たな医療確立を目指して行政に働きかけ(課題 の現実化)を行ってきた,その歴史そのものの歩みであっ たと伺える.先例も実績も何も無い処から,工夫と改善 を凝らし,互いに刺激をしながら,レーザ医療は positive に歴史を刻んできたものと思う.この時点での大きなポ イントとして理解しておくべきは,医用レーザ機器は「医 療のニーズ(夢)から生み出されてきた医療機器(課題 現実化の産物)」としての歴史を刻んできていた,という 点であろう(Fig.1参照). その後の経緯として,上述の『日本医用レーザー機器 委員会』は 5年間会合が継続されてきたが,レーザ医療 の継続的な発展の過程を踏まえて,医用レーザ機器自体 の健全な開発,製造,輸入,販売が期待され,また拡販 により普及を図ることが求められた処から,会員企業相 互が研鑽に努めることを設立目的として,平成 3年(1991\",\"PeriodicalId\":19350,\"journal\":{\"name\":\"Nippon Laser Igakkaishi\",\"volume\":\"60 1\",\"pages\":\"289-292\"},\"PeriodicalIF\":0.0000,\"publicationDate\":\"2020-09-30\",\"publicationTypes\":\"Journal Article\",\"fieldsOfStudy\":null,\"isOpenAccess\":false,\"openAccessPdf\":\"\",\"citationCount\":\"0\",\"resultStr\":null,\"platform\":\"Semanticscholar\",\"paperid\":null,\"PeriodicalName\":\"Nippon Laser Igakkaishi\",\"FirstCategoryId\":\"1085\",\"ListUrlMain\":\"https://doi.org/10.2530/JSLSM.JSLSM-41_0032\",\"RegionNum\":0,\"RegionCategory\":null,\"ArticlePicture\":[],\"TitleCN\":null,\"AbstractTextCN\":null,\"PMCID\":null,\"EPubDate\":\"\",\"PubModel\":\"\",\"JCR\":\"\",\"JCRName\":\"\",\"Score\":null,\"Total\":0}","platform":"Semanticscholar","paperid":null,"PeriodicalName":"Nippon Laser Igakkaishi","FirstCategoryId":"1085","ListUrlMain":"https://doi.org/10.2530/JSLSM.JSLSM-41_0032","RegionNum":0,"RegionCategory":null,"ArticlePicture":[],"TitleCN":null,"AbstractTextCN":null,"PMCID":null,"EPubDate":"","PubModel":"","JCR":"","JCRName":"","Score":null,"Total":0}
引用次数: 0
Dreams and Challenges, toward the Future of Laser Medical Care
歴史を振り返ってみれば,日本で初めてレーザ手術装 置(文末注記参照)が医療機器として厚生省(現厚生労 働省)の認可を得て製造・販売が開始されたのは昭和 55 年(1980年)であった.当時はレーザ機器の医療への応 用は一部に限られており,一般にはあまり詳知されてい ない状況が暫く続いたため,これを打破すべく日本レー ザー医学会(以下「当学会」と略す)のもとに医用レー ザ機器の開発,製造,販売に携わる企業が会同し,当学 会分科会の中で製造業者組織化の設立準備が検討されな がら,問題点の解決や普及のための議論が重ねられたこ とがきっかけとなり,昭和 61年(1986年)9月に三十数 社の企業が参画して,日本医用レーザ協会(以下「当協 会」と略す)の前身である『日本医用レーザー機器委員 会』が設立されている. その頃に演者はまだこの分野に深くは関わっておらず, 当時の実相を知らぬままに語ることになるが,レーザ医 療と医用レーザ機器とが共にその後に大きな発展を遂げ た一因は,臨床家による新たな医療技術(夢:ニーズ) へのチャレンジと,学術者によるエビデンス(夢の現実 化)の集積と,それらの要望を受けて各企業が技術挑戦 (課題)に立ち向かい,加えて三者が協働してレーザ医療 という新たな医療確立を目指して行政に働きかけ(課題 の現実化)を行ってきた,その歴史そのものの歩みであっ たと伺える.先例も実績も何も無い処から,工夫と改善 を凝らし,互いに刺激をしながら,レーザ医療は positive に歴史を刻んできたものと思う.この時点での大きなポ イントとして理解しておくべきは,医用レーザ機器は「医 療のニーズ(夢)から生み出されてきた医療機器(課題 現実化の産物)」としての歴史を刻んできていた,という 点であろう(Fig.1参照). その後の経緯として,上述の『日本医用レーザー機器 委員会』は 5年間会合が継続されてきたが,レーザ医療 の継続的な発展の過程を踏まえて,医用レーザ機器自体 の健全な開発,製造,輸入,販売が期待され,また拡販 により普及を図ることが求められた処から,会員企業相 互が研鑽に努めることを設立目的として,平成 3年(1991