{"title":"我在波士顿的博士后生活","authors":"Y. Okada","doi":"10.1380/jsssj.38.138","DOIUrl":null,"url":null,"abstract":"2. 1 渡米までの経緯 学生時代からずっと,海外に出て研究をしたいという 強い願望がありました。しかも,自分にとってまったく 新しい実験に挑戦したいと思っていました。その頃は, 博士論文のテーマであった銅酸化物高温超伝導体の研究 を通して,走査トンネル顕微鏡(STM)を用いた物性 研究に大きな魅力を感じていたので,博士号取得後直ち に海外留学をして STMを用いた研究を始めることが私 の中で当然の流れになっていました。 私は,博士課程の 3年目から 2年間,日本学術振興会 (JSPS)の特別研究員になることができました。さら に,博士後期課程を無事 3年で終えることができまし た。この流れが幸いし,博士号取得後の 1年間,JSPS から博士研究員としてお給料をいただきながら海外で新 しい挑戦をすることができました。この制度に感謝する ばかりです。 2. 2 渡米前の構想 私は,既に大きい研究室に行くよりも,若い先生が主 宰する発展途上の勢いがある研究室に行きたいと考えて いました。そこで,コンタクトを取ったのが MITの Eric Hudson 先生(当時,Associate Professor)です。2007 年~ 2009年にかけて Nature Physics誌に 4本の論文を出し, 意義のある成果を立て続けに出して勢いのある先生でし た。渡米前のやり取りで,先生はもうじきテニュア審査 (終身雇用になれるかの審査)を受けることを知りまし た。審査をパスすれば,研究資金も増え,研究の新展開 ができると教えてくれました。一方,審査をパスできなか った場合,ラボを閉めてMITを去らなくてはいけなくな るリスクも伝えられました。私にとって雲の上の存在で あった Nature Physics 誌への論文発表を連発している Hudson先生なら,天下の MITであろうが審査をパスす るであろうと推測していました。私の戦略は,JSPSから の支援で 1年間一生懸命働いて奉公し,その後はテニュ ア審査をパスして資金的にも余裕が出るであろう Hudson 先生に雇ってもらうというものでした。やる気に満ち溢 れ,博士号を取得後直ちにボストンに出陣しました。","PeriodicalId":13075,"journal":{"name":"Hyomen Kagaku","volume":"14 1","pages":"138-139"},"PeriodicalIF":0.0000,"publicationDate":"2017-01-01","publicationTypes":"Journal Article","fieldsOfStudy":null,"isOpenAccess":false,"openAccessPdf":"","citationCount":"0","resultStr":"{\"title\":\"My Life as a Postdoc in Boston\",\"authors\":\"Y. Okada\",\"doi\":\"10.1380/jsssj.38.138\",\"DOIUrl\":null,\"url\":null,\"abstract\":\"2. 1 渡米までの経緯 学生時代からずっと,海外に出て研究をしたいという 強い願望がありました。しかも,自分にとってまったく 新しい実験に挑戦したいと思っていました。その頃は, 博士論文のテーマであった銅酸化物高温超伝導体の研究 を通して,走査トンネル顕微鏡(STM)を用いた物性 研究に大きな魅力を感じていたので,博士号取得後直ち に海外留学をして STMを用いた研究を始めることが私 の中で当然の流れになっていました。 私は,博士課程の 3年目から 2年間,日本学術振興会 (JSPS)の特別研究員になることができました。さら に,博士後期課程を無事 3年で終えることができまし た。この流れが幸いし,博士号取得後の 1年間,JSPS から博士研究員としてお給料をいただきながら海外で新 しい挑戦をすることができました。この制度に感謝する ばかりです。 2. 2 渡米前の構想 私は,既に大きい研究室に行くよりも,若い先生が主 宰する発展途上の勢いがある研究室に行きたいと考えて いました。そこで,コンタクトを取ったのが MITの Eric Hudson 先生(当時,Associate Professor)です。2007 年~ 2009年にかけて Nature Physics誌に 4本の論文を出し, 意義のある成果を立て続けに出して勢いのある先生でし た。渡米前のやり取りで,先生はもうじきテニュア審査 (終身雇用になれるかの審査)を受けることを知りまし た。審査をパスすれば,研究資金も増え,研究の新展開 ができると教えてくれました。一方,審査をパスできなか った場合,ラボを閉めてMITを去らなくてはいけなくな るリスクも伝えられました。私にとって雲の上の存在で あった Nature Physics 誌への論文発表を連発している Hudson先生なら,天下の MITであろうが審査をパスす るであろうと推測していました。私の戦略は,JSPSから の支援で 1年間一生懸命働いて奉公し,その後はテニュ ア審査をパスして資金的にも余裕が出るであろう Hudson 先生に雇ってもらうというものでした。やる気に満ち溢 れ,博士号を取得後直ちにボストンに出陣しました。\",\"PeriodicalId\":13075,\"journal\":{\"name\":\"Hyomen Kagaku\",\"volume\":\"14 1\",\"pages\":\"138-139\"},\"PeriodicalIF\":0.0000,\"publicationDate\":\"2017-01-01\",\"publicationTypes\":\"Journal Article\",\"fieldsOfStudy\":null,\"isOpenAccess\":false,\"openAccessPdf\":\"\",\"citationCount\":\"0\",\"resultStr\":null,\"platform\":\"Semanticscholar\",\"paperid\":null,\"PeriodicalName\":\"Hyomen Kagaku\",\"FirstCategoryId\":\"1085\",\"ListUrlMain\":\"https://doi.org/10.1380/jsssj.38.138\",\"RegionNum\":0,\"RegionCategory\":null,\"ArticlePicture\":[],\"TitleCN\":null,\"AbstractTextCN\":null,\"PMCID\":null,\"EPubDate\":\"\",\"PubModel\":\"\",\"JCR\":\"\",\"JCRName\":\"\",\"Score\":null,\"Total\":0}","platform":"Semanticscholar","paperid":null,"PeriodicalName":"Hyomen Kagaku","FirstCategoryId":"1085","ListUrlMain":"https://doi.org/10.1380/jsssj.38.138","RegionNum":0,"RegionCategory":null,"ArticlePicture":[],"TitleCN":null,"AbstractTextCN":null,"PMCID":null,"EPubDate":"","PubModel":"","JCR":"","JCRName":"","Score":null,"Total":0}
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My Life as a Postdoc in Boston
2. 1 渡米までの経緯 学生時代からずっと,海外に出て研究をしたいという 強い願望がありました。しかも,自分にとってまったく 新しい実験に挑戦したいと思っていました。その頃は, 博士論文のテーマであった銅酸化物高温超伝導体の研究 を通して,走査トンネル顕微鏡(STM)を用いた物性 研究に大きな魅力を感じていたので,博士号取得後直ち に海外留学をして STMを用いた研究を始めることが私 の中で当然の流れになっていました。 私は,博士課程の 3年目から 2年間,日本学術振興会 (JSPS)の特別研究員になることができました。さら に,博士後期課程を無事 3年で終えることができまし た。この流れが幸いし,博士号取得後の 1年間,JSPS から博士研究員としてお給料をいただきながら海外で新 しい挑戦をすることができました。この制度に感謝する ばかりです。 2. 2 渡米前の構想 私は,既に大きい研究室に行くよりも,若い先生が主 宰する発展途上の勢いがある研究室に行きたいと考えて いました。そこで,コンタクトを取ったのが MITの Eric Hudson 先生(当時,Associate Professor)です。2007 年~ 2009年にかけて Nature Physics誌に 4本の論文を出し, 意義のある成果を立て続けに出して勢いのある先生でし た。渡米前のやり取りで,先生はもうじきテニュア審査 (終身雇用になれるかの審査)を受けることを知りまし た。審査をパスすれば,研究資金も増え,研究の新展開 ができると教えてくれました。一方,審査をパスできなか った場合,ラボを閉めてMITを去らなくてはいけなくな るリスクも伝えられました。私にとって雲の上の存在で あった Nature Physics 誌への論文発表を連発している Hudson先生なら,天下の MITであろうが審査をパスす るであろうと推測していました。私の戦略は,JSPSから の支援で 1年間一生懸命働いて奉公し,その後はテニュ ア審査をパスして資金的にも余裕が出るであろう Hudson 先生に雇ってもらうというものでした。やる気に満ち溢 れ,博士号を取得後直ちにボストンに出陣しました。